top of page
Naviオタロゴ.png
地図.gif

01 旧小樽倉庫

小樽市色内2-1-20
江戸時代末期、小樽はニシン漁で賑わう小さな漁村でした。
150年ほど前、北海道の開拓がはじまり小樽の港が物資輸送の拠点となったことからたくさんの北前船が小樽の港にやって来るようになり、大阪方面からは生活物資や建築資材などの開拓物資が、道内からはニシンを原料としたニシン粕ほか、海産物が小樽に集まっていました。それらを保管するために海岸線を埋め立てて多くの倉庫が建てられました。

02 旧安田銀行小樽支店

小樽市色内2-11-1
外観はギリシャ様式を採用し、正面の列柱は重厚感あふれ、細部に石とモルタルで装飾を施された銀行です。
なんと平成13年に中央通りの拡張工事で総重量約2千トンのこの建物を9カ月かけて、ジャッキで60センチ持ち上げ11メートル移動したそうです。
今もなお威厳ある姿は色あせることはありません。

03 旧三井銀行小樽支店

小樽市色内1-3-10
外観をルネサンス様式にアレンジしたもので、細かな彫刻が特徴。内部の天井には様々な模様が施され、地下には貸金庫を備えるなど小樽の黄金期を象徴する建物です。
大正12年に発生した関東大震災の被害を踏まえて、当時では最先端の耐震構造とされた鉄骨鉄筋コンクリート造が採用されました。
平成29年7月ニトリホールディングスにより小樽芸術村が開館しました。

04 旧北海道拓殖銀行小樽支店

小樽市色内1-3-1
1階は石張りにしてアーチ窓を連ね、上段は縦長窓、玄関に4本の円柱を並べる手法は国会議事堂を手掛けた矢橋賢吉で、建築も設計もよく似ております。建物の交差点の角をアーチ状に丸みのある入り口があります。
小樽ゆかりの作家小林多喜二は約5年間就職し、為替業務を担当していたそうです。
建物は銀行終了後、美術館やホテルを経て、平成29年に似鳥美術館が開館しました。

05 旧三菱銀行小樽支店

小樽市色内1-1-12
日本遺産「炭鉄港」の構成文化財に指定されています。小樽支店の開設にあわせてビルを新築。1階が三菱銀行、2階が三菱鉱業、3階は三菱商事が事務所を構えます。
鉄筋コンクリートの建築は、この時代では先端をゆくモダンな建物で、特徴としては正面にギリシャ・ローマ建築様式を表す6本の列柱が特徴づけています。
小樽運河を守る会会長の峯山冨美さんが三菱商事に就職していたそうです。

06 旧第一銀行小樽支店

小樽市色内1-10-21
第一銀行は渋沢栄一により創設された「第一国立銀行」がその前身。小樽出店に先駆け来樽し、様々な視察を経て第一銀行小樽支店を開設、そして新築移転したのがこちらの建物です。また、令和6年発行される新1万円札の肖像画は、この渋沢栄一となっています。
営業室は2階まで吹き抜けで建設当時のシャンデリアは今もそのまま残されています。
現在、建物はミユキソーイング小樽工場が稼働しています。

07 日本銀行旧小樽支店

小樽市色内1-11-16
外観はルネサンス様式を取り入れ、レンガ約244万本、モルタルで石造り風に仕上げています。内壁には12体、外壁には18体のアイヌの守り神シマフクロウが「夜は彼らが小樽の財産を守っている」という意味で作られています。
平成14年9月に営業を廃止するまで、日本銀行は北海道の発展に重要な役割を果たしました。その後平成15年5月より金融資料館として一般公開が始まっています。

08 旧北海道銀行本店

小樽市色内1-8-6
外観にはルネサンス様式で、連続するアーチ窓が特徴、外壁上部には抽象化されたシマフクロウがデザインされています。
施工を請け負ったのは、小樽市公会堂や旧岩永時計店など施工した「大虎」加藤忠五郎です。
明治31年、小樽銀行と改称し本店を小樽に移し、明治39年に北海道銀行に改称されます。その後合併を繰り返し、昭和19年に北海道拓殖銀行へ吸収合併されました。

09 銀行街

色内通りと日銀通りの交差点は通称「色内交差点」と呼ばれています。
急速な経済発展が進む小樽に着目した大手の商社や企業が次々と出店し、それに比例するように明治末期から大正・昭和初期にかけ色内十字街周辺に続々と日本銀行を始め、多くの銀行が出店していき、大正13年には25もの銀行が小樽市内で営業していました。

10 小樽運河

小樽市港町5
一般的には運河は船を通すため陸地を掘って人工的につくられた水路とイメージする方が多いと思いますが、小樽運河は埋立式運河です。
小樽港が北海道の「海の玄関口」となったことで、現在の小樽運河が出来上がるまで様々な事が起こっていきます。
昭和61年に散策路やガス灯・欄干が整備され、その年が小樽の観光元年といわれるようになり、観光客が毎年増えていきました。

11 旧渋澤倉庫

小樽市色内3-3-21
北海製罐工場の運河を挟んで向かいに、大屋根をかけた独特な形で、骨組みに軟石を貼り合わせた木骨石造となっています。渋澤倉庫の小樽進出は、当時倉庫業界で様々な問題がありましたが、徐々に倉庫業界にはいい影響をもたらすことになります。

12 旧日本郵船株式会社小樽支店

小樽市色内3-7-8
先代の社屋が明治36年の大火で焼失し、3年後の明治39年10月に再建したのが現在の建物です。
内部は大理石の横玄関、繊細な木彫りの階段手すりなど、格調高い装飾やボイラー室を設け蒸気暖房とし、窓もすべて二重ガラスで北国の冬を考慮した当時としては最新の設備を備えていました。
令和2年より保存修理工事がおこなわれ、令和6年の完成を目指しています。

13 小樽市庁舎本館

小樽市花園2-12-1
令和5年で築90年になりますが、今もなお現役で活躍しています。 外観は左右対称、内部中央階段のステンドグラスは3面に飾られ、細部には18〜19世紀のヨーロッパの装飾模様が施されています。
近年では数々のドラマや映画の舞台になるなど歴史的的価値と魅力を持った建物です。

14 小樽駅

小樽市稲穂2-22-15
明治36年開業当時から駅名が「小樽中央駅」「高島駅」「中央小樽駅」と改称し、大正9年に現在の「小樽駅」となっています。
現在の駅舎は平成11年に都市景観賞を受賞し、平成18年には国の有形文化財に登録されています。
コンコースには北一硝子さんから寄贈された333個のランプが飾られ、レトロな駅舎となっています。

15 旧北海製罐倉庫株式会社

小樽市色内3-1、港町4-6
大正10年から昭和10年にかけて運河造成地に建てられた、缶詰の「缶」などの容器を製造する小樽発祥の企業です。
現在の名称は「北海製罐株式会社小樽工場」、事務所・工場・第二・第三倉庫の4つが小樽市の歴史的建造物に指定されています。
令和2年7月に第三倉庫は老朽化のため、解体方針が市に伝えられたが、市民の多くの声が上がり、令和3年12月に小樽市へ無償譲渡しました。

16 旧小樽区公会堂旧岡崎家能舞台

小樽市花園5-2-1
公会堂は明治44年8月、大正天皇が皇太子時代に小樽で御旅館として、現在の市民会館の位置に建てられました。その後小樽区に寄贈され「小樽区公会堂」となります。
能舞台は市内入船にある岡崎邸に大正15年に造られ、岡崎没後に市へ寄贈され公会堂の移築に合わせて移設したものです。
また、地区110年を超える建物ですが、現在も様々な行事に利用されています。

17 旧共成株式会社

小樽市住吉町4-1
明治24年創立の精米・米穀会社です。
創業者は沼田喜三郎で明治15年で富山から来樽し、精米業を開始し、全道一の精米業者と言われるまで成長します。
現在、小樽オルゴール堂さんが営業している建物で、正面玄関には重さ2トンの蒸気時計がランドマーク的な存在として人気になっています。

小樽市相生町8番13号

0134-23-8484

営業時間

月〜金(祝日・年末年始を除く):10:00〜15:00

bottom of page